欧州海上安全レポート
26-18-4. 英国ETSの海事部門への適用開始
7月1日、英国排出量取引制度(UK Emissions Trading Scheme:UK ETS)の対象に海運部門が追加され、5,000総トン(GT)以上の船舶による英国国内航海及び英国港内での活動に伴う温室効果ガス排出が対象となりました。対象ガスはCO₂のほか、メタン(CH₄)及び一酸化二窒素(N₂O)であり、CO₂換算で算定されます。[4-1]
対象となるのは、英国国内港間の航海(同一港内での航行を含む)及び英国港内での停泊・接岸中の排出であり、事業者は排出量の監視・報告・検証(MRV)を実施した上で、排出量に応じた排出枠(UK Allowances)を提出することが求められます。最初の報告期間は本年7月1日から12月31日までであり、排出枠の提出期限は2027年4月30日とされています。制度は段階的に導入され、2027年1月1日からは5,000GT以上のオフショア船が対象に加わるほか、国際航海への適用拡大も検討されています。[4-1] [4-2]
英国はEU ETSからの離脱後、2021年1月から独自の排出量取引制度を運用していますが、海運部門への適用により、海運分野においても市場メカニズムを活用した脱炭素政策を本格導入したことになります。UK ETSはEU ETSと排出量取引制度(キャップ&トレード)という基本設計を共通にする一方、対象範囲は国内航海に限られ、国際航海の一部を対象とするEU ETSとは差があります。また、EUのFuelEU Maritimeとは規律の対象そのものが異なります。[4-3]
FuelEU Maritimeは、船舶が使用するエネルギーの温室効果ガス(GHG)強度を段階的に引き下げることを義務付ける制度であり、低炭素燃料やゼロエミッション燃料の利用を促進する「燃料規制」です。これに対し、UK ETSは排出量(CO₂換算)に応じて排出枠を購入・提出させる「炭素価格制度」であり、排出コストを通じて削減を促す経済的手法です。したがってFuelEU Maritimeが船舶で使用するエネルギーのGHG強度を規律する制度であるのに対し、UK ETSは「どれだけ排出したか」に価格を付ける制度であり、両者は競合するものではなく相互補完的な関係にあります。EU域内ではEU ETSとFuelEU Maritimeが並行して適用されており、英国もETSを通じてEU ETSと同様の経済的インセンティブを導入した形となります。なお、英国にはFuelEU Maritimeに相当する燃料規制は現時点で存在しません。英政府は2025年3月の海事脱炭素戦略で、IMOの燃料GHG強度規制に続く形で国内燃料規制を導入する方針を示していますが、その具体化はIMOにおける枠組みの採択動向に左右されます。[4-4] [4-5]
また、本制度は、IMOで審議が続く世界共通の温室効果ガス削減制度(IMO Net-Zero Framework)とも密接に関係しています。同枠組みは、燃料のGHG強度規制と経済的措置を組み合わせたものであり、2025年4月のMEPC 83で承認されたものの、同年10月の第2回臨時会合で採択が1年間延期されました。2026年4月27日から5月1日まで開催されたMEPC 84を経て、採択の可否は12月4日に再開される同臨時会合で改めて諮られる予定であり、その直前に第85回海洋環境保護委員会(MEPC 85)が11月30日から12月3日まで開催されます。各国・地域が先行して導入しているEU ETS、UK ETS及びFuelEU Maritimeは、その実施経験や制度運用の知見を提供する重要な先例となっています。一方、IMO制度が導入された場合には、地域制度との重複負担や整合性の確保が大きな論点となることから、英国としてもUK ETSの運用を通じて国際制度との整合性も念頭に制度運用を進めていくものと考えられます。[4-6]
本件は単なる英国国内制度の拡大ではなく、英国がEU離脱後も独自制度を維持しつつ、海運分野ではEUと同様の炭素価格制度を採用し、IMOによる世界共通制度の議論を見据えて制度運用を開始したことに意義があります。今後の焦点は、本年12月の臨時会合における世界制度の採択可否を受け、UK ETS、EU ETS及びFuelEU Maritimeをどのように整理・接続していくかに移るものと考えられます。
(日本海難防止協会ロンドン事務所 立石良介)
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