欧州海上安全レポート

No.26-12_1 記事
No.26-12_1 レポート1

海難防止の観点から見たMASS法制度調査の意義

日本海難防止協会ロンドン事務所長 立石良介

 

1.はじめに

近年、自動化技術や通信技術、AIの発展を背景として、MASS(Maritime Autonomous Surface Ships:自動運航船)に関する技術開発や実証が世界的に進んでいます。

日本では、日本財団が推進するMEGURI 2040[1]において、世界的にも先進的な取組みが進められています。また、各国においても、それぞれの事情に応じて、試験運航、制度整備、ガイドライン策定などが進められています。さらに、IMOにおいては、MASS Codeの策定に向けた議論が進められており、各国の取組みとこうした国際的な議論は、今後の制度形成に重要な影響を及ぼすものと考えられます。

MASSの実用化を考えるに当たっては、技術の進展と海上安全の確保との関係を踏まえつつ、法が果たしてきた役割を前提に、必要な制度の見直しを検討することが欠かせません。MASSは、これまで人が担ってきた見張り、操船、判断、指揮監督といった機能の一部又は全部を、機械システムや遠隔操作、自動化技術へ移していくものです。そのため、既存の海事法制、安全規制、事故責任制度との関係を改めて整理する必要が生じます。このため、当事務所では、欧州各国の法制度について、特に事故発生時の刑事責任に着目した調査事業[2]を行っております。

 

2.海難防止のために法が果たしてきた役割

海上交通の安全は、船舶の設備基準、資格要件、運航方法、衝突予防ルール、事故後の責任追及などに関する共通ルールを定め、その遵守を求めることで維持されてきました。これらに違反して事故を生じさせた場合には、民事上、刑事上、又は行政上の責任が問われることがあります。このように、法は、海難防止のための予防的な機能と、事故発生後の責任整理や原因究明という事後的な機能の双方を担っています。

MASSの登場は、この既存の枠組みにさまざまな問いを投げかけています。例えば、従来の法制度が前提としてきた「船長」「乗組員」「見張り」「船内での指揮監督」といった概念は、自律化又は無人化を伴う船舶にもそのまま適用できるのかという論点があります。航行中の安全確保義務を誰がどのように担うのか、事故が発生した際に船舶所有者、運航者、遠隔操作従事者、システムの設計者・開発者などのいずれが、どのような法的責任を負い得るのかといった点も大きな論点です。こうした論点の解決のあり方は、各国の法体系や政策判断によって異なり得ます。

 

3.欧州各国における法制度調査

各国の法制度は一律ではありません。法体系は、それぞれの国の地理的、歴史的、経済的、産業的な事情の影響を受けて形成されてきました。海域の特性、航行船舶の量や種類、海上輸送の重要性、海事行政を担う組織の構成などの違いは、安全規制の重点や制度発展の方向に影響し得ます。例えば、内海や沿岸航行が中心となる国と、外洋航行や国際商船の比重が大きい国とでは、求められる制度設計も同じにはなりません。さらに、技術開発や産業振興を重視する政策判断が強ければ、既存規制の柔軟な運用や実証のための特例制度が先行することもあります。一方で、安全確保を最優先に考える場合には、新技術の導入に慎重な制度運用が採られることもあります。したがって、MASSに関する各国の法整備を比較する際には、各国の背景の違いがその内容に反映されている点にも留意する必要があります。

この意味で、欧州各国の検討状況を調査研究することは、日本の制度を検討する上でも有益です。第一に、各国がMASSに対して既存法をどのように適用しているのか、また新たな法整備をどの範囲で進めているのかを把握することは、日本における制度検討の比較材料となります。第二に、試験運航や実証プロジェクトの進め方、規制当局の関与のあり方などについて、運用実態を理解する手掛かりが得られます。第三に、事故発生時の責任の考え方、原因究明の手法、刑事・民事・行政責任の整理に関する海外の議論を参照することで、将来的な制度設計の選択肢を広げることができます。

これまでの当事務所の調査事業では、欧州諸国の多くにおいて、MASSだけを対象とする包括的な専用法を全面的に整備するというより、既存の海事法制を基礎としつつ、個別の免除、行政判断、実証のためのガイドライン、業界の実務指針などを組み合わせて対応している例が多く見られます。他方で、一部の国では、MASSの存在を法的に位置付ける制度整備や、遠隔運航、試験区域、責任分担などに関する明確化も進められています。つまり、「既存法の適用」が基本である一方、実用化の進展に伴って、既存法だけでは対処しきれない課題が表面化しており、その補完又は再構成としての法整備が模索されている段階にあるといえます[3][4]

 

4.今後の調査事業

今後の海外調査においては、次の点が重要と考えています。第一は、一般船舶に対する既存法の適用関係です。MASSに対する既存方の適用を検討する前提として、まず既存の海事法制が一般船舶にどのように適用されているのかを整理し、その上でMASSに関する検討の基礎とする必要があります。具体的には、船員法制、船舶安全法制、航法ルール、船長責任、海難審判・事故調査制度などが、一般船舶に対してどのように適用され、解釈されているのかを把握する必要があります。第二は、事故発生時における責任の所在のうち、特に刑事責任のあり方です。事故が発生した場合に、船舶所有者、運航者、遠隔操作従事者、システムの設計者・開発者などのいずれが、どのような場合に刑事責任を問われ得るのか、また既存の犯罪構成要件や責任原則がMASSにどのように適用されるのかを整理する必要があります。第三は、事故調査及び原因究明の視点です。事故調査の過程で、人的要因、システム要因、組織的要因のいずれに重点が置かれるのかを把握する必要があります。

これらの視点を検討するに当たっては、技術の進展と海上安全の確保との関係にも留意する必要があります。MASSに関する制度のあり方を検討する際には、実証の進展、既存規制の適用、安全確保の要請等を含めて整理することが求められます。また、安全規制と技術開発との関係は、各国における制度設計上の論点の一つとなっています。このような点も踏まえ、これまでの海外調査を基礎としつつ、昨年度実施した英国調査[2]を起点として、欧州大陸各国へと対象を広げていきたいと考えております。

 

5.さいごに

MASSは、海上輸送や海上活動の新たな可能性を広げる技術であり、今後の発展が大いに期待される分野です。その実用化を安全かつ持続的に進めていくためには、海難防止の観点を踏まえた制度面の検討も重要となります。日本においても制度検討と実証が進められているところであり、欧州各国の調査研究は、そのための比較材料となるとともに、法が海上安全の確保と技術革新の両立にどのように寄与し得るのかを考える上でも有益です。こうした観点から、引き続き調査事業を進めていきたいと考えております。

 

(日本海難防止協会ロンドン事務所長 立石良介)

資料閲覧 その他