欧州海上安全レポート
欧州連合海軍部隊(EUNAVFOR:European Union Naval Force)のオペレーション・アスピデスは、EU共通安全保障・防衛政策(CSDP:Common Security and Defence Policy)に基づく「防衛的海上安全保障作戦」として、2024年2月19日に開始されました。作戦の目的は、紅海とバブ・エル・マンデブ海峡から北西インド洋にかけての海域における自由な航行を回復・確保し、主にフーシ派による攻撃から商船を防護することです[1][2]。
2023年末以降、イランの支援を受けるフーシ派は紅海およびアデン湾を通過する商船に対し、ミサイルや無人航空機(UAV:Unmanned Aerial Vehicle)、無人水上艇(USV:Unmanned Surface Vessel)による攻撃を継続しており、この海域は世界の主要貿易路の一つとして国際海上輸送にとって重要なボトルネックになっています。こうした攻撃は、スエズ運河経由の航路を回避して喜望峰経由へ迂回する傾向を招き、欧州および世界経済に深刻な影響を与えていると指摘されています[3][4]。
作戦の実績
アスピデス作戦は、防御的な性格を持つEU作戦として、商船への「近接護衛」と広域の海上状況把握を主な任務としています。2025年2月時点の欧州対外行動庁(EEAS:European External Action Service)の集計によれば、開始から1年で640隻を超える商船が支援を受け、そのうち370隻以上に対して近接護衛が実施されたと報告されています[5]。
また、同時期までに、フーシ派による攻撃に対して複数回の防御行動が行われ、無人航空機の撃墜や無人水上艇の破壊、弾道ミサイルの迎撃などが実施されたことが、EUおよび各種の分析で示されています[5][6]。
リソース不足と要請
作戦指揮官であるヴァシレイオス・グリパリス少将(ギリシャ海軍)は、作戦開始当初から一貫して、広大な作戦海域に対して投入されている艦艇数が十分ではないことを指摘し、EU加盟国に対して追加の艦船投入を求めてきました。2024年4月のロイター通信のインタビューでは、現有戦闘艦の「少なくとも倍」が必要だと述べ、戦闘艦不足が護衛任務の制約要因になっていると説明しています[7]。
2025年11月17日、欧州議会安全保障・防衛委員会(SEDE:Committee on Security and Defence)がブリュッセルで開催した会合では、「EUNAVFORオペレーション・アスピデスおよびジブチ訪問の報告」が議題として取り上げられ、グリパリス少将が作戦の最新状況を説明しました[8]。この会合でも、紅海の貿易ルート保護に対するEUの関与を継続するためには、加盟国からの追加艦艇・航空戦力の提供が重要な論点になるとみられています[7][8]。
作戦体制と法的根拠
アスピデス作戦に参加する艦艇は、ギリシャ、イタリア、フランス、ドイツなど複数の加盟国が提供するフリゲートや駆逐艦を中心としており、海上哨戒機などの航空戦力も投入されています[2][7][9]。作戦は、国連安保理決議2722号を踏まえつつ、国際法を完全に尊重し、必要性と均衡性(比例性)の原則に従って防御行動を行うことが明記されており、海上・空中における攻撃に対してのみ、最後の手段として武力を行使する「純粋に防御的な」マンデート(任務権限)とされています[1][2]。
2025年2月14日、EU理事会はアスピデス作戦のマンデートを2026年2月28日まで延長する決定を採択しました[10]。同決定および関連する対露制裁パッケージにおいて、アスピデス作戦は、紅海からインド洋西部にかけて活動するロシアの「シャドーフリート」(制裁逃れのために運用されるタンカー群)や、武器密輸に関与する可能性のある船舶に関する情報の収集・共有を行う役割も担うことが明確化されています[10][11]。
もっとも、国際法およびEUの決定上、アスピデスには、各国の同意なしに沿岸国の領海へ一方的に進入したり、強制的な臨検・検査を行ったりする権限は付与されていません。そのため、主に公海・国際水域での監視・情報収集を通じて制裁逃れへの抑止に貢献する形になっています[1][2][10]。
ロシア制裁との連携
EUはロシアのエネルギー収入削減を目的として、制裁対象となるシャドーフリート船舶の範囲を段階的に拡大しており、2025年秋の第19次対露制裁パッケージでは、制裁対象船舶が約560隻に達したと発表されています[12][13]。一部の法律事務所等の分析では、そのうち約557隻がEU港への入港禁止および再保険や各種海運関連サービスの禁止対象であると整理されており[14]、アスピデスはこうした制裁の海上での実効性確保に資する情報提供を求められています[10][11] [14]。
最新の状況報告
2025年11月19日に、EEASは「EUNAVFOR ASPIDES: 21 Months Update」と題するビデオ・メッセージを公開し、作戦開始から21か月を迎えたことを公表しました[15]。同ビデオでは、アスピデス作戦が引き続き紅海および周辺海域における安全な航行の確保と、国際パートナーとの協力による地域の安定に貢献していることが強調されています[15]。
同海域における複数の海上安全保障作戦と調整課題
紅海およびインド洋西部では、アスピデス作戦のほかにも複数の多国籍海上安全保障作戦が展開されてきました。米国主導の Operation Prosperity Guardian(OPG)は、2023年12月に開始され、2025年5月6日に米国とフーシ派との停戦(セスファイア)合意が発効するまで紅海航路の防護に積極的に当たってきましたが、この停戦により、作戦は事実上終了したと整理されています[16][17]。
一方で、フランス主導の欧州海域状況把握(EMASoH:European Maritime Awareness in the Strait of Hormuz)/Operation AGENOR(エージェノール作戦)は、ホルムズ海峡周辺での海上状況把握と航行の自由確保を目的とした欧州主導の監視・護衛ミッションとして現在も継続しており[18][19]、EU主導のEUNAVFOR ATALANTAは、ソマリア沖・アデン湾などでの海賊対処および違法取引抑止を目的として活動を続けています[20]。
ワシントン・インスティテュートなどの分析によれば、アスピデスは、これら他のEU作戦(ATALANTA、EMASoH/AGENOR)や、米国主導のOPGなどと同一または隣接する海域で活動しており、作戦間の連携・重複回避が重要な課題とされています[21][22]。指揮系統や法的根拠が異なる複数の作戦が並行することにより、現場での情報共有やリスク評価、商船への護衛アレンジなどの面で調整が複雑化していると指摘されています[21][22]。
また、同じ海域では中国、インド、日本など独立して行動する国々の艦艇・航空機による海上プレゼンスもみられます。こうした各国の活動とアスピデス作戦との関係整理も、継続的な課題とされています[23] [21]。
(日本海難防止協会ロンドン事務所長 立石良介)