欧州海上安全レポート
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1 はじめに
2026年7月1日、国際海事機関(IMO)において、非強制のMaritime Autonomous Surface Ships Code(MASS Code)が発効しました。[1]
MASS Codeは、2026年5月の第111回海上安全委員会(MSC 111)において決議MSC.595(111)として採択されたものであり、SOLAS条約の適用を受ける貨物船を対象として、設計、建造、運航、遠隔運航、通信、サイバーセキュリティ、安全管理及び人的要素等について、国際的に共通する安全上の枠組みを示すものです。[2] 同コードは、具体的な仕様を定めるのではなく、達成すべき目標と機能要件を示す目標指向型の文書であり、これを満たす方法は各国及び事業者に委ねられています。[1]
現段階では非強制のコードであり、各国、船舶運航者、技術開発企業等が同コードを活用しながら実証及び運用経験を蓄積し、その成果を将来の強制コードの策定につなげていくこととされており、2032年1月1日の発効が目標とされています。[3]
こうした国際的な動きと並行して、英国では、MASS Codeの策定に関与するとともに、国内においてMASSの実証、規制対応及び遠隔運航要員(Remote Operator)の育成等が進められてきました。[4]
このような状況の下、2026年7月23日、当ロンドン事務所はSeaBot Maritime及びBMTを見学し、意見交換を行う機会を得ました。MASSの社会実装をめぐる論点は多岐にわたりますが、本稿では、この見学を通じて確認した事項を踏まえ、遠隔運航に従事する要員の育成及びその能力評価を中心に、英国における取組を概観します。
2 英国におけるMASS規制の整備
(1)MASSの運航が認められる仕組み
英国では、IMOにおけるMASS Codeの策定と並行し、実際の運航に必要となる国内制度の整備が、MCAを中心として進められてきました。[4] 船舶の安全な運航を確保するため、従来から、船体、機関及び設備の基準適合性に加え、船員の資格や安全管理体制など、さまざまな要素について確認が行われてきました。
しかしMASSでは、従来船上の船員が担ってきた運航上の判断や操作の一部が、自律システム又は船外の要員に移ることとなります。このため、従来の安全確保の枠組みに加え、こうした判断や操作を担う主体、その能力、さらに各主体間の連携をどのように評価するかが新たな課題となります。遠隔制御を伴う類型では、船外の要員が遠隔操船所(Remote Operations Centre:ROC)から運航に関与することとなります。本稿では、この場合における遠隔運航要員の育成及び能力評価を取り上げます。[5]
英国では、MASSの認証について複数の経路が設けられています。革新的な技術を用いる船舶については、MGN 664に定める手続に基づき、案件ごとの個別審査を受ける経路があります。[6] 一方、24メートル未満の小型の遠隔運航無人船(Remotely Operated Unmanned Vessel:ROUV)については、Workboat Code Edition 3に基づく検査を受け、証書の発給を受ける経路が設けられています。[4]これらの承認において重要となるのが、事業者自身による安全性の立証です。事業者は、想定する運航方法、運航環境、人的・技術的体制等を運航構想(Concept of Operations:CONOPS)として示し、リスク評価等を通じて当該運航の安全性を求められます。とりわけROUVでは、船舶そのものの安全性だけでなく、遠隔運航を担うRemote Operatorが必要な知識、機能及び経験を有していることも、安全な運航を支える重要な要素となります。そこで問題となるのが、Remote Operatorにどのような能力を求め、その能力をどのように育成・評価するかです。
(2)Remote Operatorの能力に関する取組
Remote Operatorに求められる資格及び訓練基準については、非強制MASS Codeにも配乗、訓練及び当直に関する規定が置かれていますが、具体的な資格要件や訓練基準については、今後の強制MASS Codeの策定過程において引き続き検討されることとなっており、現時点でRemote Operatorに関する強制的な国際基準は確立されていません。[2]
こうした段階にあって、英国では、MGN 703によりRemote Operatorに求められる知識、技能及び経験について指針が示されており、これに沿った訓練についてMCAによる任意認定(voluntary recognition)を受ける仕組みが運用されています。ただし、この枠組みはWorkboat Code Edition 3の対象となるROUV等を念頭においたものであり、大型商船一般に適用されるものではありません。[5]
また、この仕組みは、Remote Operatorに固有の資格を新たに設けるものではありません。MCAは、Remote Operatorが、STCW条約に基づく海技資格、英国王立ヨット協会が発行する小型船舶の資格又はこれらと同等と認められる資格等、当該船舶を有人で運航する場合に必要となる基礎的な資格・能力を有していることを前提としています。したがって、Remote Operator向けの訓練は、既存の資格を代替する独立した資格というよりも、既存の海事資格を基礎として、遠隔運航に必要な追加的能力を身につけるための訓練として捉えることができます。
一方、英国の海事産業界では、「Maritime Autonomous Systems Regulatory Working Group(MASRWG)」が、自律運航システムの設計、運用、技能・能力等に関する実務指針を策定しています。同指針自体に法的地位はありませんが、MCAを含む関係機関や産業界の参加の下で継続的に改訂されており、制度が形成途上にある段階において、実務上の共通認識を形成する役割を果たしています。[7]
これらの取組に共通するのは、国際的な詳細基準が定まる前の段階から、行政が能力要件を一方的に定めるのではなく、民間訓練の認定や産業界による実務指針の策定を通じ、実際の運航及び訓練から得られる知見を能力要件の具体化につなげようとしている点です。
我が国においても、国土交通省海事局が設置した自動運航船検討会等において、安全基準や船員の教育訓練を含む制度整備が検討されています。一方で、公開情報を確認する限り、英国のMGN703及びvoluntary recognitionに相当するような、Remote Operatorに求められる能力を具体的に示し、その訓練を認定する独立した仕組みは現時点では確認できません。[8]
3 SeaBot Maritime及びBMTの見学
(1)見学概要
2026年7月23日、英国におけるMASS及び遠隔運航の実装状況を把握するため、BMTのシミュレーションセンターを訪問し、SeaBot Maritime及びBMTの担当者から、ROCを活用した遠隔運航、Remote Operator及びROC Supervisorの訓練、シミュレーションを用いた能力評価並びに安全性の立証に関する取組について説明を受け、意見交換を行いました。先方からは、SeaBot MaritimeのGordon Meadow氏(Founder & CEO)、Henry Duffy氏(AI and Cyber Security)及びBMT LimitedのJesse Loynes氏(Autonomous Systems Consultant)が出席しました。
SeaBot Maritimeは、遠隔運航及び自律運航に関する人材育成を主要な活動の一つとしており、Remote Operator及びROC Supervisorに求められる知識、技能、行動及び判断能力等を具体化し、これらを訓練・評価する取組を行っています。今回の見学では、BMTが提供するROCのシミュレーション環境を用いて、SeaBot MaritimeがRemote Operator及びROCチームの訓練及び評価を行う仕組みについて説明を受けました。
当日は、まずシミュレーション施設を見学し、船舶の位置、針路、速力、映像、各種センサー情報を統合して遠隔運航を行うROCシミュレーション環境を確認しました。
続いて、この環境を用いたROC Supervisor訓練のデモンストレーションを受けました。通常運航に加え、通信障害、センサー故障、衝突のおそれ等を想定したシナリオを設定し、Remote OperatorやROCチームが状況を適切に認識・判断し、必要な対応を行うことができるかを確認する訓練・評価方法について、実演を交えて説明を受けました。
その後の意見交換では、Remote Operatorに求められる能力と従来の船員能力との関係、複数船舶を監督する場合の業務負荷、AIとの協働、通信途絶時の対応及びサイバーセキュリティ等について議論しました。
(2)ROC要員の育成
SeaBot Maritimeは、訓練の提供に先立ち、Remote Operator及びROC Supervisorに求められる知識、技能、行動及び判断能力等を整理し、必要なコンピテンシーを体系化しています。その上で、受講者が既に有する能力とのギャップを分析し、必要となる訓練内容を設定しています。
同社のMASS Remote Operator trainingは、英国の規制枠組みを踏まえて開発され、MCAの任意認定を受けて提供されています。当初の認定はMGN 703の公表前に受けたものであり、その後、同ガイダンスに照らした再評価を受けています。[9]
訓練体系は、遠隔運航に共通して必要となる基礎的な知識・技能から、個別システムの操作や具体的な任務への対応、さらにROCにおける監督業務及び運航全体の管理へと、段階的に能力を高める構成となっています。
訓練では、遠隔運航、通信、センサー、航海、法規、安全管理、ヒューマンファクター、AI及びサイバーセキュリティ等を扱います。また、通常運航に加え、通信途絶、センサー故障、衝突のおそれ等の異常事態を想定した訓練も行われています。
意見交換では、特に大型商船の遠隔運航を想定した場合、従来の船長や航海士が有する航海・操船に関する知識・技能が引き続き重要となる一方、ROCでは、複数の画面やセンサーから得られる情報を統合した状況認識、通信途絶時の対応、AIとの協働、サイバーセキュリティへの対応、さらには複数船舶を監督する場合の業務管理等、船上とは異なる能力も求められるとの説明がありました。
SeaBot Maritimeでは、従来の船員が有する能力を基礎としつつ、遠隔運航に固有の能力を追加する考え方を採っています。無人船を運航する事業者に対しては、船員や海洋技術者をROC要員へ転換するためのリスキリング及びクロストレーニングも実施しています。
一方、BMTからは、MASSの安全性について、船舶や通信設備等の技術的要素のみならず、Remote Operator、ROC Supervisor、運航手順及び運航組織を含むシステム全体として評価する必要があるとの説明がありました。シミュレーションは、こうした技術、人及び運用の相互作用を確認し、安全性を検証する手段としても活用されています。
なお、今回の意見交換において、SeaBot Maritimeからは、日本におけるMASSの人材育成やRemote Operatorの能力開発についても、今後協力が可能である旨の発言がありました。
(3)IMO MASS Codeを見据えた人材育成
SeaBot Maritimeによれば、同社の訓練及び能力評価の枠組みは、現在の英国の規制要件への対応に加え、IMOにおけるMASS Codeの今後の発展も念頭に置いて構築されています。同社は、国際基準の具体化に先行して進められている英国での実運用に対応しつつ、今後のIMOにおける検討に応じて、Remote Operatorに求められる能力要件や訓練内容を更新していく考えを示しています。
特に重要な論点として挙げられたのが、自律度の高まりに伴うRemote Operatorの役割の変化です。Remote Operatorには、単に遠隔から船舶を操船する能力だけでなく、自律システムの能力と限界を理解し、その作動状況を監督するとともに、必要な場合には適切に介入する能力が求められます。
このため、Remote Operatorの知識・技能に加え、どのような状況で人が判断・介入するのか、自律システムにどこまで判断を委ねるのか、また、その際の責任や権限をどのように整理するのかといった、人と自律システムとの役割分担を具体化することも、今後のMASS人材育成における重要な論点となります。
また、MGN 703はWorkboat Code Edition 3の対象となる小型ROUVを念頭に置いた暫定的なガイダンスです。今回の意見交換では、SeaBot Maritimeから、将来的により大型の自律運航船にも対応するRemote Operatorの資格・能力に関する枠組みについてMCAで検討が進められている旨の説明がありました。
なお、こうした論点の重要性はMASSの運航形態によって異なります。特に、運航上の判断の一部又は全部を陸上のRemote Operatorが担う場合には、人と自律システムとの役割分担や介入権限が重要となる一方、船上の船員が引き続き最終的な意思決定を担う類型では、求められる能力や責任の整理も異なるものとなります。
4 英国における規制と実装
MGN 703に基づく訓練の任意認定やMASRWGによる実務指針の策定にみられるように、英国では、規制の形成と現場における実装とが相互に関連しながら進められています。
MCA等の政府機関は、安全基準や規制の枠組みを形成するとともに、MGN 664に基づく個別審査やRemote Operator向け訓練の任意認定等を通じ、事業者が新技術を実証し、規制への適合を確認しながら実運航へ移行するための経路を整備しています。
一方、SeaBot MaritimeやBMT等の民間主体は、ROC、シミュレーション、Remote Operatorの訓練及び能力評価、安全性の検証等を通じて、規制上の要求を具体的な技術、人材及び運用能力へ落とし込んでいます。
SeaBot Maritimeは、MCAの任意認定を受けた訓練を提供するとともに、MASRWGにも参画しており、CEOのGordon Meadow氏はPeople, Skills and Ethics Committeeの議長を務めています。[10] このため、同社は、完成した規制に対応して訓練を提供するだけでなく、新たな運航概念や規制上の要求を具体的な能力要件、訓練及び評価手法へ展開し、その過程で得られた産業側の知見を今後の技能・能力基準の検討へ還元する役割も担っています。
このように英国では、政府が制度的な枠組みと実装への経路を整備し、産業界が技術、人材及び運用能力を具体化するとともに、両者の継続的な対話を通じて、規制の形成と実装とを相互に結び付けながらMASSの社会実装を進めているとみることができます。
5 まとめ
MASS Codeにより、自律運航船の安全確保に関する国際的な共通の枠組みが示されました。もっとも、同コードは拘束力を有しないため、その原則や要件が実際の運航にどのように具体化されるかは、各国の制度及び運用を通じて形作られていくことになります。
英国の取組は、その具体化の一つの方法を示しています。国際的な資格基準が確立されていない段階において、暫定的な指針によりRemote Operatorに求められる能力を示し、これに沿った民間の訓練を任意に認定するとともに、産業界自身が策定する実務指針も活用するという方法です。一方、我が国では現時点で、船員法及び海技資格の既存の枠組みを基礎としつつ、乗組み体制や教育訓練等を含めた検討が進められています。どのような制度設計が適切かは、各国の海事産業の構造や対象となる船舶、運航形態等によって異なり得ます。
今後の強制MASS Codeの策定は、非強制コードの下で蓄積される運用経験を踏まえて進められることとされており、各国の制度運用や実証を通じて得られる知見は、将来の国際基準の検討において重要な材料となります。英国の現在の経験は、主として無人ワークボートを中心とするものであり、MASS Codeが主として想定するSOLAS適用船とは対象範囲を異にします。しかし、Remote Operatorに求められる能力を具体化し、それを訓練及び評価・認定へ結び付けるという制度上の課題は、より大型の船舶においても共通して生じ得ます。
今後の強制MASS Codeの検討においては、Remote Operator等に求められる能力要件をどの程度まで国際的に共通化するのか、また、既存のSTCW条約に基づく海技資格や船員制度とどのように関係付けるのかが重要な論点の一つになると考えられます。本稿で確認した英国の取組は、こうした国際的な検討に先行して、能力要件、訓練及び認定を実際の運用の中で具体化しようとする一つの実例として位置付けることができます。
(日本海難防止協会ロンドン事務所長 立石良介)
参照
[1]https://www.imo.org/en/mediacentre/hottopics/pages/autonomous-shipping.aspx
[2]https://www.imo.org/en/mediacentre/meetingsummaries/pages/temporary-msc-111.aspx
[3]https://www.imo.org/en/mediacentre/pressbriefings/pages/imo-adopts-mass-code.aspx
[4] https://www.gov.uk/guidance/autonomy-mass-uk-maritime-innovation-hub
[7]https://www.maritimeindustries.org/resources/maritime-autonomous-systems-regulatory-working-group
[8]https://www.mlit.go.jp/maritime/maritime_fr7_000046.html
[9]https://www.marinelink.com/news/seabot-maritime-mass-remote-operator-539021
[10]https://www.seabotmaritime.com/post/why-humans-are-key-to-maritime-autonomy
- No.26-22「海外情報 英国 MASS社会実装に向けた取組」
- No.26-21「月刊レポート(2026年8月号)」
- No.26-20「海外情報 Seawork 2026 参加報告」
- No.26-19「海外情報 IMRF ワークショップ 参加報告」
- No.26-18「月刊レポート(2026年7月号)」
- No.26-17「海外情報 Posidonia-2026 参加報告」
- No.26-16「旧 Autonomous Ship Expo 参加報告」
- No.26-15「月刊レポート(2026年6月号)」
- No.26-14「海外情報 ホルムズ通航指針 発表」
- No.26-13「海外情報 難民救助ガイド改訂」
- No.26-12「月刊レポート(2026年5月号)」
- No.26-11「海外情報 S-A-S 2026 参加報告」
- No.26-10「特集 ドローン規制と運用実態」
- No.26-09「特集 無人運航船の法的責任(英国)」
- No.26-08「月刊レポート(2026年4月号)」
- No.26-07「海外情報 Seabot Maritime社 訪問」
- No.26-06「特集 無人運航船導入PTの動向②」
- No.26-05「海外情報 OI-2026 参加報告」
- No.26-04「月刊レポート(2026年3月号)」
- No.26-03「海外情報 国際救難連盟の活動紹介」
- No.26-02「月刊レポート(2026年2月号)」
- No.26-01「月刊レポート(2026年1月号)」
- No.25-12「特集 2025 年欧州動向と今後」
- No.25-11「月刊レポート(2025年12月号)」
- No.25-10「海外情報 MASS Sympo 参加報告」
- No.25-09「月刊レポート(2025年11月号)」
- No.25-08「海外情報 ICMASS-2025 参加報告」
- No.25-07「月刊レポート(2025年10月号)」
- No.25-06「特集 無人運航船導入PTの動向」
- No.25-05「月刊レポート(2025年9月号)」
- No.25-04「月刊レポート(2025年8月号)」
- No.25-03「月刊レポート(2025年7月号)」
- No.25-02「特集 無人運航船の法的責任(考察2)」
- No.25-01「特集 無人運航船の法的責任(考察1)」
- No.24-01「海外情報 ⾃律船舶での衝突回避の未来」