欧州海上安全レポート
1. はじめに
2026年6月1日から5日までギリシャ・アテネで開催されたPosidonia 2026に、6月1日から2日までの2日間参加しました。欧州委員会が運営するEUブルーエコノミー観測所[1]は、Posidoniaについて、世界中から多種多様な出展者や来場者を集める国際的な海事展示会と説明しています。
本イベントの公式ホームページ[2]では、開催期間の5日間で、83の国と地域から2,227社が出展し、来場者数は35,000人を超える規模であったと報告しています。会場では、過去最多となる24の国別パビリオンが設けられ、約70件のカンファレンスやセミナーも行われたほか、海事技術、船舶管理、海洋開発、海上輸送サービスなど、幅広い製品・サービスなどが展示されていました。
今回の報告では、AIやサイバーセキュリティ、船舶データ活用などに関する製品・サービスを紹介していた企業に加え、セミナー等で確認した内容を中心に取り上げます。なお、本レポートは、あくまで調査視察の事例として紹介するものであり、特定企業の推薦を意図するものではありません。
2. 展示イベント
(1)展示ブース
展示ブースでは、船舶管理、通信、サイバーセキュリティ、燃費・排出量管理、自動化、代替燃料対応など、海運業務を支える幅広い技術・サービスが紹介されていました。
中でも、Posidonia公式カタログの製品・サービス分類では、AI関連ソリューションに該当する出展者が30社以上、自動化に分類される出展者が150社以上[3]確認されました。
今回は、そうした分野に関連してブース訪問を行った企業のうち特に、AIや船舶データを活用し、運航の効率化、環境規制への対応、安全運航を支援する技術・サービスを紹介していた5社について記載します。
ア. Danaos[4]
ギリシャに拠点を置く海事ソフトウェア企業。船舶管理、運航管理、保守管理、規制対応等を支援するシステムを提供しており、海運業務のデジタル化に関する展示を行っていました。
イ. Wärtsilä[5]
フィンランドを拠点とする海事・エネルギー技術企業。船舶用エンジンを中核に、推進システム、代替燃料対応、船舶運航の効率化や排出規制対応などに関する技術・サービスを紹介していました。
ウ. NeptuneZero[6]
ギリシャに本社を置く、海事AI・データ関連の企業。船舶から取得される船内データや運航データを活用し、入出港報告、燃費・排出量関連報告等の作成を自動化するシステムを展示していました。
エ. Kongsberg Maritime[7]
ノルウェー発の海事技術企業。船舶の自動化、航行システム、ダイナミック・ポジショニング、遠隔運航・自律運航関連技術など、船舶運航を支える幅広い技術を紹介していました。
オ. Navarino[8]
ギリシャに拠点を置く船舶向け通信を軸とした海事テクノロジー企業。通信、船内のIT環境、サイバーセキュリティなど、船社の運航環境に応じたデジタル支援のサービスを紹介していました。
(2)セミナー・パネルディスカッションなど
ア. イノベーションと技術 ~国際海運の未来を可能にする~
本パネルディスカッションでは、AI、デジタル技術、次世代原子力などの新技術が、今後の海運業界に与える影響について議論されました。
これまで当事務所のレポートでも概観してきたように、欧州ではMASSなどの新技術の導入に向けた検討が進んでいます(No.26-06「特集 無人運航船導入PTの動向②」[9]、No.25-06「特集 無人運航船導入PTの動向」[10]参照)。
こうした流れの中で、本パネルでは、AIや次世代原子力を海運業界がどのように実務へ取り入れていくべきかが議論されました。
AIの活用については、船速最適化が効果を測定しやすい分野として挙げられました。DeepSea Technologies社[11]のコンスタンティノス・キリアコプロス氏(Konstantinos Kyriakopoulos)は、AIによるルートや船速の最適化により、燃料費、排出コスト、時間コストなどについて、従来と比較して5パーセントから10パーセント程度の削減効果を見込むことが可能であると説明しました。また、AIが単に運航に関する助言を行う段階から、機関制御などを自動的に実行する段階へ進みつつあることにも言及しました。
一方で、Orca AI[12]社のヤーデン・グロス氏(Yarden Gross)は、AIを船上で機能させるには、技術の精度だけでなく、現場で船員が信頼して使えること、日常業務の中で無理なく利用できること、使用者への訓練などが重要であると述べました。また、AMPERA社[13]のブライアン・マシューズ氏(Brian Matthews)からは、小型・コンテナ型のマイクロ原子炉について、エネルギー密度の高さや燃料補給負担の低減という観点から紹介がありました。
このように本パネルでは、新技術については、単に導入を進めるだけでなく、船上の実務に適した形で活用していくことの必要性が確認されました。
※参考
司会
・Anthi Miliou氏(Lloyd’s Register 上級副社長)
登壇者
・Brian Matthews氏(AMPERA 創業者兼最高経営責任者)
・Dr. Konstantinos Kyriakopoulos氏(DeepSea Technologies 最高経営責任者兼共同創業者)
・Yarden Gross氏(Orca AI 最高経営責任者兼共同創業者)
・Nicholas K. Notias氏(SteelShips LLC 最高経営責任者)
・Marina Hadjipateras氏(TMV 創業者兼マネージング・パートナー)
イ. 岐路に立つ海運 ~地政学、世界市場の変化、戦略的ポジション~
本パネルディスカッションでは、地政学リスクが海運市場に与える影響について議論されました。
現在、世界の海上輸送は、紛争、制裁、関税、紅海やホルムズ海峡における航行リスクなど、さまざまな不安定要因に直面しています。こうしたリスクが高まると、船舶は従来の航路を避けて遠回りする必要が生じ、航海距離や輸送日数が増加します。その結果、輸送需要や運賃、新造船への投資判断にも影響が及びます。
この文脈において、司会のクリスティーナ・サエンス・デ・サンタ・マリア氏(Cristina Saenz de Santa Maria)は、1,000隻を超えるとされるシャドーフリートの存在を取り上げました。シャドーフリートは、制裁下でもエネルギー輸送を継続する手段となっている一方、老朽船が多く、安全管理、保険、実質的な所有者が不透明な場合があります。そのため、船腹需給や安全性に影響を与える課題として取り上げられました。
また、ADNOC Logistics & Services社[14]のアブドゥルカリーム・アル・マサビ氏(Abdulkareem Al Masabi)は、地政学リスクが長期化する中で、海運会社には安定した事業運営が求められると指摘しました。その例として、同社では、長期契約による固定収入の確保や、海運とオフショア物流を組み合わせることにより、短期的な市況変動への耐性を高めていると説明しました。
全体として、本パネルでは、地政学リスクが単に一時的な航行上の問題にとどまらず、航路選択、輸送コスト、船隊投資、さらには船腹需給や船舶運航上の安全リスクにまで影響を与えていることが確認されました。
※参考
司会
・Cristina Saenz de Santa Maria氏(DNV 海事部門最高経営責任者)
登壇者
・Abdulkareem Al Masabi氏(ADNOC Logistics & Services 最高経営責任者)
・John Coustas氏(Danaos Corporation 会長兼社長兼最高経営責任者)
・Anil Sharma氏(GMS及びLila Global 創業者兼最高経営責任者)
・Harry Vafias氏(Stealthgas、Imperial Petroleum及びC3iS Inc. 創業者)
・Nikolas P. Tsakos氏(Tsakos Energy Navigation Ltd. 創業者兼最高経営責任者、INTERTANKO元会長)
ウ. ハイブリッド脅威と海上エネルギーインフラの保護
本パネルディスカッションでは、バルト海と東地中海における海上エネルギーインフラへのハイブリッド脅威について議論されました。
バルト海周辺については、当事務所の「No.26-02月刊レポート」[15]でも紹介したとおり、現在、GNSSへの妨害やスプーフィングなどが問題となっています。本パネルでは、こうした問題に加え、海底ケーブルやエネルギー施設への妨害、シャドーフリートの活動なども、欧州の海上安全保障上の大きなリスクとして取り上げられました。
ポーランド国際問題研究所[16]のアマンダ・ジュビンスカ氏(Amanda Dziubińska)は、2022年1月から2025年7月までにロシアがEU域内で行った約110件の妨害活動のうち、半数以上がバルト海周辺で発生したことを指摘しました。同海域周辺には海底ケーブルやエネルギー施設、主要航路が集中しているため、こうした妨害活動は、欧州全体のエネルギー供給や通信インフラにも影響し得ると説明されました。
一方、地中海については、南東欧エネルギー研究所(IENE)[17]のコスティス・スタンボリス氏(Costis Stambolis)が、ギリシャの約6,000の島・小島と約170の有人島を結ぶ海底電力ケーブルの保護を重要課題として挙げました。その理由として、多数の島嶼部を抱えるギリシャでは、海底電力ケーブルが住民生活やエネルギー供給を支える重要な基盤となっており、その保護は東地中海の安定にも関わる課題であると説明しました。
また、司会のダニエル・ピエカルスキ氏(Daniel Piekarski)が、議論の中で「ロシア」という言葉が15回登場したと述べたことは、バルト海と東地中海という異なる海域であっても、ロシアによるハイブリッド脅威への対応が、欧州共通の安全保障課題として認識されていることを象徴していました。
※参考:
司会
・Daniel Piekarski氏(ポーランド外務省経済局 エネルギー・原材料安全保障部門長)
登壇者
・Agnieszka Legucka氏(ポーランド外務省戦略局 副局長)
・Amanda Dziubińska氏(ポーランド国際問題研究所)
・Costis Stambolis氏(南東欧エネルギー研究所 会長兼業務執行理事)
エ. S-100入門: 次世代の航海
本セミナーでは、英国水路部(UKHO)[18]のテクニカルパートナーシップ責任者であるトーマス・メラー氏(Thomas Mellor)から、次世代の水路データ標準であるS-100について説明がありました。
従来の標準であるS-57[19]は、主に電子海図情報を中心に扱ってきました。しかし、現在は航行に必要な情報をより多層的に活用することが求められています。こうした背景を踏まえ、S-100[20]は、電子海図に加え、水深、水位、表層流、航行警報などのデータを、ECDIS(電子海図情報表示装置)上で統合的に表示するための新しい国際標準として紹介されました。
これにより、船舶は、海図情報だけでなく、潮汐・水深・流れ・警報などの関連情報を一つの画面上で確認しやすくなります。その結果、航行判断の精度向上や船上での情報確認作業の効率化につながることが期待されています。
実際の導入については、S-100対応のECDISは、2027年頃から登場する予定で、2029年以降の新造船・改造船を中心に導入が進む見込みです。ただし、既存のS-57対応のECDISをすぐに交換する必要はなく、移行には一定の期間が設けられると説明されました。
これらの説明から、S-100が単なる電子海図の更新にとどまらず、航行に必要な情報を一つの画面で確認しやすくするための基盤であると理解しました。今後、デジタル技術の普及により船舶が扱う情報量が増える中で、海図、水深、潮流、警報などを統合して表示できることは、安全運航だけでなく、船上での確認作業の効率化にもつながると考えられます。
※参考:
登壇者
・Thomas Mellor氏(英国水路部(UKHO)技術連携部長)
3. おわりに
Posidonia 2026では、展示ブースやパネルディスカッションを通じて、AI・デジタル技術の活用、サイバーセキュリティ、環境対応、地政学リスク、海上エネルギーインフラ保護、次世代水路データ標準など、海運を取り巻く幅広い論点を確認しました。
また、今回の視察を通じて、同展示会の盛況ぶりを実感しました。この点については、ギリシャの主要経済紙Naftemporikiが「歴史的な来場者数」[21]、海運専門メディアContainer Newsが「記録的な来場者数」[22]、英国の海事専門メディアAll About Shippingが「盛況のうちに閉幕」[23]などと報じており、複数の媒体からも確認できます。
さらに、IMOのアルセニオ・ドミンゲス事務局長(Arsenio Dominguez)が開会式で演説し、Posidoniaを「海事分野の制度的な存在となった展示会」[24]と表現したことからも、同展示会が単なる展示会にとどまらず、国際海事社会における重要な交流・政策議論の場であることがうかがえます。
次回のPosidoniaは、2028年6月5日から9日まで、同じくギリシャ・アテネで開催される予定です。
(公益社団法人日本海難防止協会 研究員 川上慶大)
[1] https://blue-economy-observatory.ec.europa.eu/events/posidonia-international-shipping-exhibition-2026-06-01_en
[2] https://posidonia-events.com/press-releases/posidonia/article/182/posidonia-2026-closes-on-a-high/
[3] https://posidonia-events.com/exhibitors/exhibiting-companies-2026/
[4] https://www.danaos.gr/en/normal/home
[7] https://www.kongsbergmaritime.com/
[9] https://www.nikkaibo.or.jp/london/no-26-06%e3%80%8c%e7%89%b9%e9%9b%86%e3%80%80%e6%ac%a7%e5%b7%9e%e3%81%ae%e7%84%a1%e4%ba%ba%e9%81%8b%e8%88%aa%e8%88%b9%e7%ad%89%e5%b0%8e%e5%85%a5pt%e5%8b%95%e5%90%91%e2%91%a1%e3%80%8d
[10] https://www.nikkaibo.or.jp/london/no-25-06%e3%80%8c%e7%89%b9%e9%9b%86%e3%80%80%e6%ac%a7%e5%b7%9e%e3%81%ae%e7%84%a1%e4%ba%ba%e9%81%8b%e8%88%aa%e8%88%b9%e7%ad%89-%e5%b0%8e%e5%85%a5%e3%83%97%e3%83%ad%e3%82%b8%e3%82%a7%e3%82%af%e3%83%88
[13] https://www.amperaglobal.com/company
[15] https://www.nikkaibo.or.jp/london/no-26-02%e3%80%8c%e6%9c%88%e5%88%8a%e3%83%ac%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%88%ef%bc%882026%e5%b9%b42%e6%9c%88%e5%8f%b7%ef%bc%89%e3%80%8d
[16] https://pism.pl/webroot/upload/files/Raport/PISM%20REPORT%20%28Un%29safe%20Waters.pdf
[18] https://www.admiralty.co.uk/about-us
[19] https://iho.int/en/s-57-encoding-bulletins
[20] https://www.admiralty.co.uk/access-data/s-100
[21] https://www.naftemporiki.gr/english/2120942/posidonia-2026-wraps-up-with-historic-turnout/
[22] https://container-news.com/posidonia-2026-wraps-up-with-record-breaking-attendance/
[23] https://allaboutshipping.co.uk/2026/06/05/posidonia-2026-closes-on-a-high/
[24] https://posidonia-events.com/press-releases/posidonia/article/184/record-breaking-posidonia-2026-delivers-deals-dialogue-and-direction-for-shippings-future/
- No.26-17「海外情報 Posidonia-2026 参加報告」
- No.26-16「旧 Autonomous Ship Expo 参加報告」
- No.26-15「月刊レポート(2026年6月号)」
- No.26-14「海外情報 ホルムズ通航指針 発表」
- No.26-13「海外情報 難民救助ガイド改訂」
- No.26-12「月刊レポート(2026年5月号)」
- No.26-11「海外情報 S-A-S 2026 参加報告」
- No.26-10「特集 ドローン規制と運用実態」
- No.26-09「特集 無人運航船の法的責任(英国)」
- No.26-08「月刊レポート(2026年4月号)」
- No.26-07「海外情報 Seabot Maritime社 訪問」
- No.26-06「特集 無人運航船導入PTの動向②」
- No.26-05「海外情報 OI-2026 参加報告」
- No.26-04「月刊レポート(2026年3月号)」
- No.26-03「海外情報 国際救難連盟の活動紹介」
- No.26-02「月刊レポート(2026年2月号)」
- No.26-01「月刊レポート(2026年1月号)」
- No.25-12「特集 2025 年欧州動向と今後」
- No.25-11「月刊レポート(2025年12月号)」
- No.25-10「海外情報 MASS Sympo 参加報告」
- No.25-09「月刊レポート(2025年11月号)」
- No.25-08「海外情報 ICMASS-2025 参加報告」
- No.25-07「月刊レポート(2025年10月号)」
- No.25-06「特集 無人運航船導入PTの動向」
- No.25-05「月刊レポート(2025年9月号)」
- No.25-04「月刊レポート(2025年8月号)」
- No.25-03「月刊レポート(2025年7月号)」
- No.25-02「特集 無人運航船の法的責任(考察2)」
- No.25-01「特集 無人運航船の法的責任(考察1)」
- No.24-01「海外情報 ⾃律船舶での衝突回避の未来」