欧州海上安全レポート
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ホルムズ海峡は、中東湾岸地域と外洋を結ぶ国際海運上の重要な通航路であり、原油や液化天然ガスなどのエネルギー輸送にも深く関係しています。
一方で、周辺情勢が緊張する局面では、船舶への攻撃、機雷、ミサイル、無人航空機に加え、GNSSいわゆるGPSなどの測位情報へのジャミングやスプーフィングといったリスクもあります。これらは、自船位置や周囲の船舶の把握を困難にし、衝突、座礁、誤操船などの事故につながるおそれがあります。
また、情勢悪化により多数の船舶が海峡周辺で待機した後、通航が再開されれば、船舶が短時間に集中し、航行上の危険が高まる可能性もあります。このような状況では、船長・船員だけで通航を判断することは大きな負担となるため、船会社や船舶管理会社など陸上側との情報共有と支援が重要です。
「ホルムズ海峡通航安全管理指針」は、こうしたリスクを踏まえ、船主、運航者、船舶管理会社、船長等が、ホルムズ海峡を含む湾岸地域への進入、域内航行及び退出を安全に計画・管理するための実務的な手引きです。本指針は法的拘束力を持つ規則ではありませんが、通航前のリスク評価、GNSS障害への対応、交通集中時の判断、通航延期を含む選択肢などを整理しています。その意義は、危険な海域を通る判断を船長や船員だけに委ねず、船上と陸上が共通の状況認識を持って判断するための枠組みを示した点にあります。
===もくじ===
はじめに
1 本指針の位置付け → 実務的ガイダンス、既存枠組みの補完資料
2 本指針の構成 → 本体・付録・別添
3 本指針の内容 → 標準的対応とジャミング・スプーフィング等への具体的対応
まとめ
《本文》
はじめに
2026年5月20日、ICS、BIMCO、INTERCARGO、INTERTANKO、IMCAおよびOCIMFの業界6団体が共同で「ホルムズ海峡通航安全管理指針(Industry Guidance on the Safe Management of Vessel Transit through the Strait of Hormuz)」を発表しました。
https://www.bimco.org/news-insights/bimco-news/2026/05/20-hormuz-guidance
本指針は、安全保障リスクが高まる時期に、船主・運航者・船長等がホルムズ海峡を含む湾岸地域への進入、域内航行及び退出を安全に計画・管理するための実務的な業界ガイダンスです。
本稿では、本指針の概要をご紹介します。
本指針は、船長等の船上側と、船主・運航者・船舶管理会社等の陸上側が、共通の状況認識のもとで通航判断と通航実施に当たることを重視しています。
本指針が念頭に置くリスクは多面的です。現下のホルムズ海峡における脅威としては、武力攻撃のほか、GNSSジャミング・スプーフィングやAIS異常といった電子妨害、無人航空機・ミサイル、機雷などがあり、これらは単独ではなく同時に発生し得ます。加えて、発表時点では、多数の船舶がホルムズ海峡を通航できない状態にあり、通航再開時にはこれらの船舶が一斉に移動することで、極度の交通集中という別種の航行上の危険が生じ得るとされています。本指針は、こうしたリスクを前提に、それぞれへの対応の考え方を示しています。
1 本指針の位置付け
(1)本指針の目的と性格
ホルムズ海峡周辺でリスクが高まる時期の通航を対象に、本指針は主に次の2つの場面を支援することを目的としています。
会社側が、航海ごとの脅威・リスク評価に基づいて安全な通航計画を策定する
船上・陸上の双方が、通航前から通航中にかけて同じ運用状況を共有し続ける
本指針は、SOLAS条約や旗国法令のような法的拘束力を有する規則ではなく、業界団体が共同で作成した安全管理上の実務的ガイダンスです。したがって、その意義は遵守を強制する点にではなく、現場でそのまま使える具体性にあります。内容は抽象的な概念論にとどまらず、実際の運用を意識した次のような実務資料を備えています。
通航前チェックリスト
脅威・ハザード評価マトリクス
極度の交通集中時に対応を発動する判断基準
GNSS障害時にブリッジで参照できる早見表
(2)既存枠組みとの関係
本指針は、既存の枠組みを前提とした補完的な文書であり、全く新しい種類のものではありません。また、本指針は、次の資料を併せて参照することを推奨しています。
· BMP-MS(Best Management Practices for Maritime Security):BIMCO、ICS、IMCA、INTERCARGO、INTERTANKO、OCIMFが支持して発行した、商船が海事セキュリティ上の脅威に備えるための一般的実務指針。
https://www.maritimeglobalsecurity.org/
· INTERTANKOのGNSS関連ガイダンス:船主・運航者・船長を対象に、複数のGNSSの解説、運用上のリスク及びその管理方法を示すもの。 https://www.maritimeglobalsecurity.org/media/2cwigtc4/2025-jamming-and-spoofing-2nd-ed-web.pdf
· OCIMFのロイタリング・ミュニション資料:徘徊型ドローンの脅威と対策をまとめた情報ペーパー。
https://www.ocimf.org/document-libary/854-loitering-munitions-the-threat-to-merchant-ships-1/file
また、本指針は以下の既存の要求や義務を置き換えるものではなく、これらと併せて用いることを前提としています。
会社手順
船長の専門的判断および最終権限
旗国・沿岸国の要求 / 傭船契約上の義務
戦争リスク保険を含む保険条件 / 政府・海軍の公式ガイダンス
そのうえで、UKMTO、JMIC、MSCIO/EUNAVFOR、NAVCENT NCAGS等の公式で信頼性の高い情報源から最新情報を確認すること、および保険・傭船契約や制裁・貿易コンプライアンス上の条件に留意することを求めています。
(3)実務上の位置付け
実際の運用では、本指針は通航前・通航中・通航後の各段階で確認すべき事項を示すものとして用いられます。リスクは固定的ではなく、最新の脅威情報、交通状況、軍事活動に伴う緊張、GNSS干渉、船舶状態、乗組員の疲労等に応じて変化するものとして、船舶ごと・航海ごと・時期ごとの評価を前提としています。
特に、通航判断において以下の「五つの観点」を示している点は、陸上と船上が共通の判断枠組みを持つうえで極めて有益です。
【通航判断における五つの観点】
「脅威状況」「航海状況」「船舶準備」「乗組員・保安態勢」「陸上支援」
2 本指針の構成 (別添「ホルムズ海峡通航安全管理指針(2026年5月版)」概要参照)
(1)基本構成
本指針の本体は、目的・適用範囲、基本原則、現在の運用環境、錨泊・待機位置の考慮事項、計画上の考慮事項、報告ルート、意思決定の考慮事項、通航前準備、通航実行時の考慮事項、通航後の対応からなります。
基本原則として人命安全・安全航海・環境保護を最優先とし、船長の最終権限と、継続的に更新される航海ごとの評価に基づく通航判断を確認しています。意思決定については固定的なGo/No-Goルールではなく、1章で示した五つの観点に基づく構造化された「判断補助表」を示し、リスクが高い場合には通航延期を現実的な選択肢として明示しています。
報告面では、UKMTO、NAVCENT NCAGS、MSCIO、IFC-IOR、旗国・会社危機管理チーム等への登録・報告体制を整理しています。また、通航後には将来の指針改訂や業界分析に資する教訓報告の提出を求めています。
(2)付録・別添
付録及び別添には、現場で使いやすい実務資料が収められています。これらにより運航会社やブリッジチームが実務に落とし込みやすい構成となっています。
付録A(脅威・ハザード評価マトリクス)
ミサイル・ドローン攻撃、機雷、GNSSジャミング・スプーフィング、AIS過負荷、衝突、強制的なCPA低下などを整理
付録B(通航前準備チェックリスト)
陸上・船上の準備項目を網羅
付録C(ブリッジ人員配置・極度の交通集中モードに関する助言)
12海里レンジ内でAISターゲット又はレーダーコンタクトが60を超える場合などを、発動の数値基準として明示
付録D / 別添I(クイックリファレンスカード)
通航前・通航中・脅威発生時の行動や、GNSSジャミング・スプーフィング対応に特化したブリッジ用早見表
3 本指針の内容
(1)標準的対応
本指針の内容の多くは、人命安全の優先、船長権限の尊重、最新情報の確認、UKMTO等への報告、関係者間の連携、AIS方針や航法機器への対応など、ISM/ISPSコードの実務や既存の海事セキュリティガイダンスと共通する標準的なものです。
本指針の特徴は、これらをホルムズ海峡向けに具体化し、現場で使える対応策まで落とし込んでいる点にあります。その中心が、次に挙げる電子妨害、極度の交通集中、運用上のセキュリティへの対応です。
(2)ジャミング・スプーフィングへの対応
本指針は、通航中は「GNSS信号が利用不能または信頼不能となること」を計画上の前提とすべきとしています。特にスプーフィングは、信号喪失として認識されやすいジャミングと異なり、誤った位置情報が一見正常に表示され得るためより危険です。ECDIS上での自船位置の異常な急変や、AISとレーダー・目視の不一致などがその兆候とされます。
これに対し、偽の位置情報にシステム全体が引きずられないよう、以下の具体的な実務を求めています。
· ECDIS、AIS、INS(統合航法システム)へのGNSS入力をすべて隔離・選択解除して意図的に切り離す。
· レーダーオーバーレイが偽の座標により実際の地形とずれて表示された場合は、混乱を防ぐため直ちにオーバーレイ表示を削除する。
· 手動での位置プロットを6分以内の間隔で行う。その際、位置の基準には(移動・変動しやすい)ブイではなく、明確な陸上構造物を用いる。
· AIS情報のみに依存した衝突回避判断を避け、レーダーおよび目視確認を重視する。
このように、本指針は電子妨害を単なるサイバー・情報管理上の問題ではなく、衝突・座礁・誤操船に直結する航行安全上の問題として扱っている点が大きな特徴です。
(3)極度の船舶交通集中への対応
異常な船舶交通の集中やスプーフィングによる混乱から船を守るため、感覚ではなく定量的な数値基準(付録C)を定めています。
· 12海里のレーダー圏内に60を超えるAISターゲット又はレーダーコンタクトが存在する場合
· または、3隻以上の他船とのCPA(最接近点)が同時に不安定な変動を示した場合
上記のいずれかに該当する場合、「極度の交通集中モード」を発動し、状況が改善するまで進入を待機することを判断肢として示しています
(4)個人モバイル端末の対応
現代の紛争地域ならではの新しい対策として、乗組員個人のモバイル端末からの位置情報漏洩リスクに警鐘を鳴らしています。紛争地域付近を航行する際は、すべてのモバイル端末を位置漏洩の危険源とみなし、不要な通信機能(Bluetooth、Wi-Fi、位置情報サービス)を無効化する、位置情報アプリを制限する、あるいは機内モードに設定することを推奨しています。
(5)その他の対応策
無人航空機・ミサイルを想定したブリッジ要員の防護や船上・陸上双方の準備、通航後の教訓報告による継続的改善も具体的に整理され、リスクが高い場合には通航延期を明示的な選択肢として示しています。
まとめ
本指針の核心は、ホルムズ海峡における通航リスクを「海事セキュリティ」と「航行安全」に分けて捉えるのではなく、両者が相互に影響する一体的な問題として整理し、航海ごとのリスク評価と現場で使える具体的な対応策に落とし込んだ点にあります。武力攻撃や電子妨害から、通航再開時の交通集中、GNSS・AISへの過度な依存まで、性質の異なるリスクを同じ枠組みで扱い、抽象的な注意喚起にとどまらない実務的な判断材料を示しています。
もっとも、本指針は法的拘束力を持たず、BMP-MS等の既存枠組みを補完するものであり、最終的な通航判断は船長の権限と最新の公式情報に委ねられます。したがって本指針は、それ単独で通航可否を定める基準ではなく、船社と船舶が共通の枠組みのもとで主体的に判断するための「実務的な土台」と位置付けられます。
最後に、本指針の根底には、明確な業界メッセージが込められていると考えられます。すなわち、安全保障リスクが高まるホルムズ海峡の通航は重い決断であり、その判断と負担を船長・船員だけに負わせるべきではなく、船主・運航者をはじめとする陸上組織が、共通の状況認識のもとでこれを支えるべきだ、という意志です。通航延期を正当な選択肢として明示し、陸上支援を判断の柱に据えていることからも、そのことがうかがえます。そして本指針は、運航会社に対しても、航海ごとの評価、通航計画の策定、陸上からの支援体制の整備を促しています。チェックリストや数値基準の背後には、危険な海域へ向かう船を、船長、船員のみの孤立した判断に委ねるのではなく、陸上組織を含む業界全体で支えるべきであるという考え方があります。本指針の最も重要な意義が、この点にあると感じました。
(日本海難防止協会ロンドン事務所長 立石良介)
別添
「ホルムズ海峡通航安全管理指針(2026年5月版)」概要
1. 目的と適用範囲 (Purpose and Scope) 地域的な安全保障リスクが高まっている時期において、湾岸地域およびホルムズ海峡への進入、域内航行、退出を行う船舶の安全な計画と管理を支援するための指針
2. 基本原則 (Guiding Principles) 人命の安全、安全な航海、環境保護を最優先とし、船長が絶対的な権限を持つことを原則
3. 現在の運用環境 (Current Operating Context) GNSSやAISのジャミング・スプーフィング、無人航空機やミサイルによる攻撃、水上自爆ドローン(WBIED)、極度の交通集中など、急速に変化する複合的な脅威環境と、それが乗組員の状況認識や意思決定に与える影響について解説
4. 錨泊および待機位置の考慮事項 (Anchoring and Waiting Position Considerations) 安全な通過ウィンドウを待つ際の待機場所(港湾周辺と沖合のメリット・デメリット)の選定や、ターゲットになるのを防ぐための回避運動・不規則な移動の実施など、停泊・待機中のリスク低減策を整理
5. 推奨される計画上の考慮事項 (Recommended Planning Considerations) 通過前の多角的な計画について、以下のサブセクションで構成されています。
脅威と商業: 最新の脅威情報の確認や保険(戦争保険等)の適用範囲の確認。
船舶と技術の準備: 航海計器のバックアップや紙海図の準備。
乗組員と人員配置: 乗組員の疲労管理、非必須人員の退船、心理的ストレスの考慮。
航海計画: 実際の状況に合わせた柔軟な航路計画の策定。
AISと航海灯の運用: 軍や当局の勧告に基づくAISのオン/オフの判断基準と、航海灯の常時点灯義務について。
6. 報告ルート (Reporting Channels) UKMTO(英国海運貿易オペレーション)、NAVCENT NCAGS(米海軍中央司令部)、MSCIO、IFC-IORなど、主要な関係機関の連絡先と、インシデント時や通過前における各機関の推奨される利用方法が一覧
7. 意思決定の考慮事項 (Decision Considerations) 通航判断の5つの観点「脅威状況」「航海状況」「船舶の準備」「乗組員とセキュリティ体制」「陸上支援」に基づき、通過を「検討できる条件」と「延期を検討すべき条件」を整理した意思決定マトリクスを提供
8. 通過前の準備に関する考慮事項 (Pre-Transit Preparation Considerations)
陸上側: 脅威ブリーフィングの提供や緊急時対応ルートの事前承認、十分な燃料の確保など
船上側: 目視とレーダーによる航海手順の確認、GNSS障害への備え、セキュリティ体制(ISPSレベル3への引き上げ検討等)、操舵や機関のテスト、各種緊急ドリル(GNSS喪失、操舵不能、退船など)の実施について記載
9. 通過実行時の考慮事項 (Transit Execution Considerations) 通過中の厳格なブリッジ管理(船長の常駐、追加当直、手動操舵の実施など)について規定しています。また、個人の携帯電話等からの位置情報漏洩を防ぐ「運用上のセキュリティリスク」対策 や、GNSSが信頼できない状況下での航海規律(他の独立した手段による位置確認)について強調
10. 通過後の行動 (Post-Transit Actions) 将来の業界向けガイダンス改訂や分析に役立てるため、通過後に得られた教訓報告書(lessons-observed report)の提出を要求
付録および別添 (Appendices and Annexes)
· 付録A: 脅威とハザードの評価マトリクス例
· 付録B: 陸上および船上の準備チェックリスト
· 付録C: 通過実行時のアドバイス(極度の交通渋滞モードでの対応など)
· 付録D: ブリッジ用クイックリファレンスカード(脅威発生時の即時行動等)
· 別添I: GNSS障害(ジャミングやスプーフィング)に特化したブリッジ用早見表
- No.26-14「海外情報 ホルムズ通航指針 発表」
- No.26-13「海外情報 難民救助ガイド改訂」
- No.26-12「月刊レポート(2026年5月号)」
- No.26-11「海外情報 S-A-S 2026 参加報告」
- No.26-10「特集 ドローン規制と運用実態」
- No.26-09「特集 無人運航船の法的責任(英国)」
- No.26-08「月刊レポート(2026年4月号)」
- No.26-07「海外情報 Seabot Maritime社 訪問」
- No.26-06「特集 無人運航船導入PTの動向②」
- No.26-05「海外情報 OI-2026 参加報告」
- No.26-04「月刊レポート(2026年3月号)」
- No.26-03「海外情報 国際救難連盟の活動紹介」
- No.26-02「月刊レポート(2026年2月号)」
- No.26-01「月刊レポート(2026年1月号)」
- No.25-12「特集 2025 年欧州動向と今後」
- No.25-11「月刊レポート(2025年12月号)」
- No.25-10「海外情報 MASS Sympo 参加報告」
- No.25-09「月刊レポート(2025年11月号)」
- No.25-08「海外情報 ICMASS-2025 参加報告」
- No.25-07「月刊レポート(2025年10月号)」
- No.25-06「特集 無人運航船導入PTの動向」
- No.25-05「月刊レポート(2025年9月号)」
- No.25-04「月刊レポート(2025年8月号)」
- No.25-03「月刊レポート(2025年7月号)」
- No.25-02「特集 無人運航船の法的責任(考察2)」
- No.25-01「特集 無人運航船の法的責任(考察1)」
- No.24-01「海外情報 ⾃律船舶での衝突回避の未来」