欧州海上安全レポート
◆ はじめに
2025 年10月8〜9日にドイツ・ハンブルクで開催された「ICMASS-2025」に参加してまいりました。
近年、海事分野における自動運航船(MASS︓Maritime Autonomous Surface Ships)技術は、AI・センシング技術の発展、通信インフラの⾼度化、さらには各国で進む制度検討を背景に、実⽤化に向けて着実に前進しています。一方で、サイバーセキュリティ、⼈間要素、データ基盤、責任制度など、技術と制度の両⾯で検討すべき課題が依然として存在しており、国際的な議論が続いています。
ICMASS(International Conference on Maritime Autonomous Surface Ships)は、自動運航技術に関する最新の科学的研究と技術開発を中心に、業界と学術機関が一堂に集まり、研究成果と実装上の課題を議論する国際会議です。2018 年の第1回(韓国・釜山)以降、会議はアジアとヨーロッパを中心に国際的に巡回して開催されてきました。2019 年ノルウェー・トロンハイム、2020年韓国・蔚山、2022年シンガポール、2023 年オランダ・ロッテルダム、2024年ノルウェー・トロンハイム、今回が第8回目の開催となります。
ICMASS-2025 は全91件の研究報告と4つのパネルセッションを含む構成でした。本報告では、参加したセッションや資料等をもとに、印象に残ったテーマと⽰唆を筆者の視点から整理したものです。網羅性を目的とするものではなく、聴取した研究報告から得られた理解をもとに、自動運航技術の現段階の一端を紹介させていただきます。
◆自律船舶規制の最新情報(IMO規制動向)
開会冒頭では、IMO(国際海事機関)における自律運⾏船に係る検討の経緯と今後の方向性について、体系的な説明が⾏われました。
自動運航船(MASS)に関する国際的な議論は、2017年頃にIMOの海上安全委員会(MSC)で開始されました。その後、既存の国際条約(SOLAS、MARPOL、COLREG等)が自動運航に適⽤可能かを評価する「規制スコーピング演習(RSE)」が2021年に完了しました。この分析により、多くの既存規則はMASSにも適⽤可能である一方で、「船⻑の責任と役割」「乗組員の位置づけと責任者」といった横断的で重要な論点が残されていることが明らかになりました。
これを踏まえて、IMOは2021年に、まずは貨物船を対象とした「非強制 MASS コード」の策定に着手しました。この非強制コードは、目標指向型(Goal-based)かつ包括的(Holistic)な構造を持ち、既存の国際条約を補完する役割を担います。
今後のスケジュール(最新ロードマップ)として、非強制コード採択︓2026年5月のMSC会議(MSC 111)で最終化し、採択される予定です。
また、強制コードの策定・移⾏として、2026〜2030 年の「経験蓄積フェーズ(EBP︓Experience Building Phase)」で実運⽤の知⾒を集め、2030年7月1日のMSC会議で、拘束⼒のある国際ルール(強制コード)が採択される予定です。そして2032年1月1日までに、その拘束⼒のある国際ルールが発効される計画です。
法的整合性については、UNCLOS(国連海洋法条約)との矛盾はないと確認されており、同条約における master(船⻑)は法的責任者としての概念であることから、遠隔地から指揮する形態であっても基本的には条約上の要件を満たすと解釈されています。
一方で、現在議論が進められている非強制MASSコードにおいては、船内に乗組員又は乗船者がいる場合、⼈員と運航の安全を確保する観点から、master が物理的に船上に存在することが求められることになります。
また、STCW条約(船員の訓練等)については、遠隔操作センター勤務者を「船上勤務と同等」とみなし、必要な訓練要件を今後拡充していく方針が⽰されました。
商⽤化を⾒据えた課題としては、通信の信頼性、サイバーセキュリティ、責任と保険制度の確⽴、および経済的な事業採算性が重要視されています。欧州では、風⼒発電⽀援船など⼩型作業船を対象とした実証が進⾏中であり、北海諸国では自動運航の国家間協調を進めるNorth Sea MOUの枠組みが活⽤されています(日本海難防止協会ロンドン連絡事務所 欧州海上安全レポートNo.25-06「特集 欧州の無⼈運航船等導入PT動向」参照)。
本セッションから理解できるのは、自動運航技術の進展に際し、国際機関であるIMOが2032 年の発効目標に向けて、いかに制度設計を段階的かつ着実に進めているかという重要なテーマです。
◆自動運航の洞察(国際海域での実証と技術成熟度)
ドイツ・Anschütz社のシニア・システムエンジニアであるダニエル・ソラス氏 が、「自動運航の進展︓統合航法システムに基づく国際海上実証からの知⾒」と題し、自社が取り組む自律航法システムの開発状況と国際海域での実証試験の成果を紹介しました。
Anschütz 社は、⼤型船向けに開発された統合航法システムを、中⼩型船・自律船にも対応できるように改良・拡張し、複数のプラットフォームで試験を重ねています。各船には光学・赤外線カメラ、ライダー*、⾼分解能レーダー、5Gおよび衛星通信(Starlink)が搭載され、取得データは陸上の遠隔操船センターに送信され、そこで操船・監視が⾏われます。 * ライダー︓LiDAR(Light Detection and Ranging)、レーザー光を利⽤した距離測定センサー船が可能になる」との評価が得られました。
2023 年には、バルト海において 3 週間にわたる⼤規模試験が実施されました。自動航⾏、衝突回避、隊列航⾏、標的追跡など、自動運航の要素技術が総合的に検証されました。通信遅延は概ね1秒未満と安定しており、数秒の通信途絶が発⽣した場合でも航⾏を維持できたとのことです。操船者からは「霧の中を進むようだが、センサーを信頼すれば操船できる」との声があり、熟練船⻑からは「手動では実現困難な精密な操船が可能になる」との評価が得られました。
一方で、混雑した海域では数百隻のヨットを同時にレーダーで追跡する必要があり、センサー能⼒の限界や誤検知防止が課題として浮き彫りになりました。
ソラス氏は、遠隔操船は船上操船とは全く異なる体験である点を強調しました。操縦者が「外界の体感情報」を得られない遠隔操縦センター(ROC︓Remote Operation Center)特有の課題であり、視覚・聴覚・情報処理のみに依存するため、⾼い作業負荷と状況認識の困難さが⽣じるとのことです。そのため⼈間中心設計、情報管理の最適化が不可⽋とされています。
今後の重点課題としては、通信断時の安全確保(フェイルセーフ機能︓減速・停止・自動回避)、GPSジャミング・スプーフィング対策の強化、AI航法判断の信頼性向上が挙げられています。また、最終的には「一名の遠隔操船者による複数船の安全運⽤」を実現するため、状況認識⽀援と自律判断の⾼度化が必要とされています。
本セッションは、自動運航技術の実⽤段階の進捗状況と残存課題を具体的に理解できる、有意義な内容でした。
◆遠隔操縦とヒューマンファクター研究
ノルウェー科学技術⼤学のアレクセイ・グッチ氏 により「Situation Awareness by Design(設計による状況認識)︓⼈間中心型ワークステーションの研究」と題する報告が⾏われました。⼈間と自律システムの協働設計に焦点を当てた研究成果が紹介されました。
グッチ氏は、近年発⽣した2つの衝突事故を事例として挙げました。一つは船⻑の居眠りによるコンテナ船の住宅地への衝突事故、もう一つは自律システムの誤判断によりフェリーが岸壁に衝突した事故です。これらの事例を通じて、「⼈間だけに依存した運航」と「完全自律」の両者に伴うリスクを指摘しました。
その上で、グッチ氏は「⼈間の強み」と「自律システムの強み」を組み合わせる 「AutoTeaming(オートチーミング)」の必要性を強調しました。完全無⼈化ではなく、⼈間による監視・判断と自律制御を最適に融合させる概念であり、自動運航の安全性向上の鍵とされています。
遠隔操縦センター(ROC︓Remote Operation Center)の実現可能性と設計課題についても⾔及されました。船上のブリッジと異なり、ROCでは操作者が外界の情報を直接得られず、開発者が設計したUI(User Interface)とセンサーデータのみが情報源となります。この「情報の歪み」が、状況認識の低下や負荷増⼤をもたらすリスクがあると説明されました。
報告では、⼈間中心設計に基づき、短期間で複数のワークステーション・プロトタイプを開発し、実船の船⻑や操船者による実験を重ねたプロセスが紹介されました。
初期のプロトタイプは、1台のカメラ映像のみで操船する簡易版でした。しかし視野の狭さと情報不⾜により、操船者は強い不安とストレスを感じ、状況認識が成⽴しないことが明らかになりました。
その後、複数カメラの統合、ディスプレイの拡⼤、UI改良、各種フィードバック(視覚・聴覚・触覚)の強化など、段階的な改善が進められました。最終段階では、以下の仕様を備えた「Tele-Drive Station(テレドライブ・ステーション)」が完成しました︓
• 3⾯カーブディスプレイ+2⾯サブディスプレイ
• 10台のカメラ
• 360度⿃瞰映像
• 3D音響
• 触覚フィードバック
実船の船⻑らによる本格的な評価が実施された結果、225 度の視界を確保できるカーブディスプレイ構成が特に⾼く評価されました。操縦者からは「視界の⽋落を意識せずに操作に集中できる」との声があり、従来のROCで問題となりがちだった「死角」や「映像位置の混乱」が⼤幅に低減され、状況認識の向上が確認されています。
一方で、⻑時間のジョイスティック操作による疲労、椅⼦や操作環境の⼈間⼯学的改善など、今後の課題も⽰されました。
グッチ氏は最後に、「遠隔操作であっても、操船者は”そこにいる”状態でなければならない」と述べ、ROC設計における⼈間中心アプローチの重要性を改めて強調しました。
本セッションは、⼈間とAIの協働という自動運航の根幹課題に真摯に向き合うものであり、完全自動化ではなく「⼈を適切に活かす自律化」の方向性を⽰す重要な研究成果でした。
◆5G接続性評価(通信インフラと自動運航の基盤)
ノルウェーの研究機関SINTEF Oceanの研究者であるアンドレアス・ヘルマンセン氏 が、5G通信の産業利⽤、特に海上での自動運航への適⽤可能性について報告しました。
研究の背景として、IMOが今後発⾏予定の非強制MASSコードにおいて複数の独⽴した通信手段の組み合わせが重要になる、との⾒方が⽰されました。5Gネットワークがこの要件を満たし得るかを技術的に分析する内容でした。
ヘルマンセン氏は、現在世界で利⽤されている公衆5Gネットワークが、本質的にダウンリンク主体(受信向け)で設計されており、アップリンク(船舶から陸上への⼤量データ送信)を前提としていないことを指摘しました。自律船では、複数カメラ映像やレーダー・LiDARデータを遠隔操縦センターへ送信する必要があり、⾼いアップリンク容量が求められます。この点が、一般的な消費者向け通信とは⼤きく異なるとのことです。
ノルウェー国内を対象とした調査では、5Gは以下の2つの周波数帯を中心に展開されています。
• 700MHz帯︓広域カバレッジだが、容量が⼩さい
• 3.6GHz帯︓⾼容量だが、基地局のカバー範囲が⼩さい
都市部では⾼速通信が期待できる一方、⼈⼝密度の低い沿岸部ではカバー率が著しく低下します。ノルウェー全⼟の⾯積ベースでは、⾼容量5Gがカバーするのはわずか3%程度とのことです。
さらに、基地局と端末(船舶側)の送受信電⼒の非対称性が課題として指摘されました。アップリンクの通信可能範囲はダウンリンクより⼤幅に狭くなります。これは陸からの通信は届いても、船からのデータが届かないという状況が⽣じ得ることを意味し、自動運航における通信信頼性を⼤きく左右する要素とされています。
加えて、周囲に多数の利⽤者が存在する場合、通信資源が分散され、映像伝送などの帯域需要が逼迫することも懸念材料として挙げられました。
こうした分析を踏まえて、ヘルマンセン氏は以下の対策が必須になるとの⾒解を⽰しました。
• 契約による優先帯域の確保
• 補完的な通信手段の組み合わせ(衛星通信、ローカル5G、専⽤基地局など)
また、将来的には「アップリンク主体の産業⽤途向け周波数帯」が必要になる可能性にも⾔及し、政策的な議論が求められると述べました。
本セッションで、海上通信が自動運航実現の基盤技術である一方で、現在の公衆5Gネットワークをそのまま使⽤するには課題が多く、自律船運航を⽀える通信インフラの設計には、電波特性、カバレッジ、帯域、デバイス性能といった多角的視点が必要であることが確認できました。
◆まとめ
筆者が聴講したセッションを中心に、自動運航に関する議論状況を確認しました。
確かに技術⾯では着実な進展が認められます。一方で、制度整備、運⽤設計、⼈材育成などの分野では検討が継続中であり、自動運航が技術と規制の双方で過渡期にあることが確認できました。
特に印象的であったのは、完全自動化を将来の目標としながらも、現段階では「⼈間との協働(Human-AI Teaming)」が強調されている点です。遠隔操縦センターの設計、HMI(Human Machine Interface)改善、操船者の認知負荷に関する研究など、多くの発表が、⼈間の判断⼒と AI の計算能⼒を組み合わせる協働モデルを前提としていました。これは、自動運航の安全性と信頼性を確保する上で、⼈間が引き続き重要な役割を果たすことを⽰していると思われます。
ICMASS 参加を通じ⾒えたのは、技術の⾼度化と⼈間中心の運⽤設計が並⾏して進む当⾯の未来像です。更に商⽤化に向けては、以下の多方⾯の取り組みが求められるものとの指摘がありました。
• 実証データに基づく評価
• 通信・データ基盤の標準化
• AIの透明性確保
• ⼈材育成
自動運航技術の現状と課題、完全自動化と⼈との協働をいかに両⽴させるかについての考察に触れる機会を得ることができました。
次回ICMASSは2026年4月22〜23日、シンガポールで開催されることが案内されました。